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浄福寺について

浄福寺の縁起

本堂写真

当山は高野山金剛寺峯寺を本山とする高野山真言宗の寺院で、青龍山浄福寺と言う。

寺の下まで海であった大宝元年(701)に役小角により開山され青冷山長福寺成就院と言った。以後縁起不明なれど、応永年間(1394~1427)に日誓法印が熊野三社権現を勧誘請して再興した。以後大内家の祈願寺として栄えた。

二十一世宥海法印の寛文8年(1668)には白松井関村菩提寺を末寺として建立する程の隆盛をみた。
二十四世宥円法印の時に災難があったが、二十五世有範法印が再度復興し、享保元年(1716)には寺号を青龍山正福寺と改めた。
当時、嘉川八幡宮・于見折三神社の別当職としてお宮の祭りを司どっていた。また、七町五反の寺田を有し参拝者もれるをなす程に栄えていたと伝えられる。

明治4年の排仏毀釈・神仏分離令により三十五世霊厳法印は別当職を辞した。同年、小郡町中郷の浄誓寺を当時の正福寺に合併して現在の寺号・浄福寺と改めた。

浄誓寺の本堂を明治六年に移築したものが現在の観音堂である。明治32年三十六世真応法印、嘉川全地区民の大師信仰の盛りあがりと協力により、嘉川八十八ヶ所霊場を開起した。
昭和62年、霊場開起88周年記念事業として「生かせいのち修行大師」を勧請し、僧俗相和して大法要を厳修する。

本堂は昭和52年に檀信徒の篤き信仰心の結集によって再建されたものである。本堂には八幡宮の本地仏である阿弥陀如来、特に紅頗梨色阿弥陀如来を安置している。紅頗梨色阿弥陀如来は密教の阿弥陀如来であるが、我国に現存する像は他に例が無く、大変貴重な仏像である。

お大師さまを始め、不動・愛染の両明王、薬師如来、観世音菩薩、学業成就・智恵の文殊菩薩等老若男女の心のよりどころとして信仰されてきた沢山の仏さまと共に、熊野三社権現等の神さまも祀る金郷最古のお寺である。 四十一年世黙昌法印記

曼荼羅や 大師の御法 賀宝の寺 佛のちかひ 頼もしきかな


お大師様の教えとご請願

お大師様写真

お大師さまは、この世に生を受けた全てのものが、いつも生命の根源を振りかえり、その尊さを忘れず、自他のいのちを生かし合うことを教えられました。

自己にあっては、日常の行いを正し、口で言う言葉を浄め、心で考える思想を高め、今生きている肉身のままで仏の徳を成就する人間完成を目的とする。

社会にあっては、常にお大師さまと同行二人の心を忘れず、慈悲の心で済世利人に徹し、現在住んでいるこの世をそのまま極楽浄土(平和社会)にしようと勤め合うことを教えられました。

お大師さまは、人生の修行道場として、また、迷い苦しむ民衆救済・済世利人の実践道場として、42才の時に四国八十八ヶ所霊場を開かれました。さらに、後の世の人々の幸せの為に永遠のご誓願『五穀豊熟(天地の恵み)富(経済)貴(尊敬)家運長久(子孫繁栄)智慧(正しい思い)愛警(慈愛)息災延命(健康長寿)易産(安産)』をおたてになり、62才で高野山に入定留身され、今もなお私たちを加持護念しお導きお救い下さっておられます。

ありがたや 高野の山の 岩かげに 大師はいまだ おわしますなる 南無大師遍照金剛


年中行事

どなたでもお参りできますので、お気軽にお越しください。

1月24日
【初地蔵】
○先祖・水子幼没供奉修
○安産・良縁・諸祈願
○四国八十八ヶ所霊場お砂ふみ

2月3日
【節分会】
○厄除開運星祭護摩祈願奉修

3月22日彼岸
【春季彼岸会】
○土砂加持法要・施餓鬼供奉修
○供養・祈願等

3月下旬
【嘉川八十八ヶ所霊場巡拝】

8月24日
【地蔵盆】
○先祖・水子幼没供奉修
○安産・良縁・諸祈願

9月第1日曜
【奥之院大瀧山法会】
○護摩供養諸祈願奉修
○万巻心経数珠くり

9月22日彼岸
【秋季彼岸会】
○土砂加持法要・施餓鬼供奉修
○供養・祈願等


月例行事

大師講

20日14時より
【大師講】
○万巻心経数珠くり

月例行事

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